Home お知らせ 12月4日は、「有床診療所の日」!

12月4日を「有床診療所の日」に制定!

 

●12月4日、「有床診療所の日」の制定について

 「ゆうしょうしんりょうしょ」と聞いて、「有床診療所(有床診)」と理解できる人は、一体ど

のくらいいるのでしょうか? おそらくごく一部の医療関係者以外は、なかなか理解できな

いのではないでしょうか。世間における有床診療所の認知度は低く、その要因には、自

らを有床診療所として名乗ってこなかったことも大きく影響していると考えられ、医療機

関の名称に「有床診療所」とあるのを見たり聞いたりした人は多分殆どいないと思われ

ます。

広島県ではポスターを作成し各医療機関に配布

 

 「有床診療所」の存在や意義について、はたしてどのくらい国民の皆さまは知っている

のでしょうか。日医総研の調査によると、日頃から有床診療所を受診している患者でさ

え、約4分の1の人が有床診ということを知らなかったと答えており、ましてや一般の人々

のほとんどは、その存在や意義を知らないものと思われます。また、国会議員やマスコ

ミ関係者においても、有床診療所に対する認識は極めて低いのが現状です。

 

 有床診は、昭和23(年1948年)に施行された医療法第1条により設置されたもので、

「19人以下の患者を入院させるための施設を有するもの」であり、終戦直後、病院の入

院病床の絶対数不足に対処するためにGHQが新設したものです。

 その後、日本独自の医療単位として、有床診という名称が認知されることなく、地域医

療の中核を担ってきました。地域に密着した身近な入院施設として、急性期はもとより

慢性期そして終末期医療までを、外来、入院、在宅と同じ医師が責任を持って診療を行

なうという特徴をもち、また、高齢者の療養や介護の受け入れから、外科系の手術や分

娩までも行っています。現在でも、わが国の総分娩数の47%は有床診が担っています。

 このように有床診は地域医療において大きな役割を果たしており、まさになくてはなら

ない存在なのです。

 しかしながら、地域医療の中核的な存在であるにも関わらず、有床診は近年減少の

一途をたどっています。有床診の施設数(医療施設動態調査 平成22年8月末概数)は

全国10,645施設、その数はこの20年間で半減しており、毎年約1,000もの有床診が病

床を閉鎖(無床化)しているのが実態です。このままでは、あと10年後には、有床診が

絶滅することになりかねません。

 

 有床診は、かかりつけ医として家庭医として、時間外や休日でも24時間対応で、また

休日の在宅当番医として、外来・入院そして往診にも応じてきました。地域の中で病床を

持って患者(住民)を診る施設として意義のある存在、そして、その有床診の地域住民に

身近な病床は、在宅と外来の延長線上にあり、病院の病床とはその機能において全く

異なるものであります。さらに、在宅医療においても中核的役割が有床診に求められて

いるのも事実で、有床診を今後も存続させ続けることが、地域医療にとって必要不可欠

なことと考えられます。

 

 このような背景から、全国有床診療所連絡協議会では、国民の皆さまに有床診療所

の存在や意義を広く周知するために、今般新たに12月4日を「有床診療所の日」として

制定することになりました。また、施設名にも「有床診療所」と名乗り世間的な認知・理解

を促進していきます。

 

12月4日は、「有床診療所の日」。

 

 「有床診療所の日」として制定した12月4日の由来は、享保7年(1722年)12月4日、江

戸の小石川に小石川養生所が設けられ、日本で最初に病床を併設する診療所が設立

された日といえるからです。なお、日本医史学会の酒井シヅ理事長より、この日が日本

の医療にとっても記念すべき日であり日付において確かな証拠も残されているとのこと

で、この小石川養生所の設立に関しては、「徳川實紀」に以下のように詳細に書かれて

います。

 

新訂增補 國史大系「徳川實紀」第八篇(吉川弘文館刊行)によると、 

 十二月四日 御みづから得給ひし鶴を尾邸につかはさる。書院番頭杉浦内藏助

正奉御使す。また小石川傳通院前の市井臋小川笙船といふもの。貧しくして薬用

のよすがなき病者の為め。施薬院を設けられなば。御仁政の一端なるべしと建白

せしを。嘉納せられて。人々に議せしめられ。こたび小石川薬園のかたはら。新に

養病所をたてらる。よて趣意を市井にふれられしは。養生所にまかるべき者等

は。町々いと貧しき病者。或は看侍の者もなきやから。その所に参り。治療うくる

かぎりは。飲食。衣服。臥具に至るまで。公よりたまはるべし。歩行にたへしもの

は。まかり乞うべし。・・・

 

 このように画期的な福祉施設である小石川養生所は、小石川伝通院の医師・小川笙

船の目安箱への投書から実現しました。八代将軍・徳川吉宗は享保の改革を進める中

で、庶民の声を吸い上げる必要があると考え、目安箱を設置しました。小川笙船が訴え

たのは、貧しい者が病気を治すための療養所を作って欲しいというもので、訴状を読ん

だ吉宗は腹心である町奉行・大岡忠相に命じて小川笙船と面談・調査を実施。そして12

月4日に小石川の中に養生所が設立され、無料で庶民の病気治療にあたったというも

のです。この診療所の様子は山本周五郎の小説『赤ひげ診療譚』でも知られており、こ

の小説は 1965年 、黒澤明監督により「赤ひげ」と題して映画化もされています。また、

現在、小石川養生所のあった場所(小石川植物園)には、当時養生所で使われていた

井戸が保存されており、その隣には、旧東京医学校の建物が残っています。

 

 

最終更新 (2010年 12月 10日(金曜日) 13:27)